説法と自然から学ぶもの
「スマホ上の空論」
もはや日記やブログの領域ではない「こうすけ日記」
読者に役立つヒントが見つかれば幸甚です。
解説者の平山こうすけ
今回は「説法と自然から学ぶもの」についてのお話です。
一段と寒くなった冬のせいではなく、
僕への相談がとても多くなりました。
自分の都合しか言わない上司、思いやりのない後輩、
話を聞いてくれない子供。
人は人である以上、人に悩みます。
もしかすると、人に関する悩みが1番多いかもしれません。
僕はそういった相談内容で、深く考察したい時には
説法を学ぶか、自然に向かいます。
「サーフィン最高!」というアホな話ではありません。
自然に学ぶ事が多くあるからです。
令和の社会も大変な世の中です、
しかし、自然で生きている動物たちは、僕らよりも過酷です。
明日生きているかもわからない、子供や仲間が残るかもわからない、
危険な自然界という社会でいきています。
そんな究極に過酷な動物に比べたら、人間は自由です。
しかし、その自由が人をダメにしてしまう。
自由であることが幸せな部分もありますが、自由な幸せだけでは
人間社会では生きていけません。
けれども、自由に育てたい。権利が重要。損をさせない。
そんな思いが、人の成長を妨げてしまうことになることを説法では
説いています。
説法の一つに「悪いことから離して、良いことに導く」とあります。
悪いことというのは、悪事だけでなく、将来によくないことなど含めており、
良いというのは道徳的を含め、将来に良いものをいいます。
挨拶をしない。これは良くないことです。
従業規則に記載なく権利があったとしても、挨拶は大切です。
汚く食べる。これも良くないことです。
食べ方は自由です。しかし食べ物に感謝を込める。
そういう部分で良くないことです。
このような教えを説法では説いています。
「当たり前だ」という方は、とても育ちが良い。
しかし、自由の本来の意味を間違えて育ってしまうと
悪いことを良いままに人は育ちます。
その結果、人を悩ます人になってしまう。
子供らしくない子供、子供のような大人。
若い人ほど本能のままの行動を優先にとってしまいます。
本能のままに生きたい=自由になっている。
楽しいことだけではだめです、出来ない、叶わない苦しみも必要
なんですね。
駄目なことは駄目であり、駄目だった経験も必要なんです。
「どんなことにも意味がある」
そう深く考える時には説法と自然に向き合う。
考えてしまう時には自然に行ってみましょう。
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心の解説者®︎・エッセイスト 平山 こうすけ
心の解説者®︎・スマホ上の空論・エッセイ・随筆・ポジティブ心理・エッセイスト・ユーモア哲学・売り出し方・コーチング・平山 こうすけ コウスケさん