SNSと僕
「売り出し方をつくる」
もはや日記ではないレベルの「こうすけ日記」
心理ブログよりもファンが多い現実・・
心の解説者の平山こうすけです。
今回は「SNSと僕」についてお話をします。
スマホを手に持つ。
表示のホーム画面には人それぞれの画面が映る。
ペットの壁紙、子供の壁紙、推しの壁紙。
壁紙にの上に表示されているアイコンの数々、
手にしたあなたはいつものアイコンを押してとりあえず
いつも確認をするSNSのアイコンを指で開く。
開いた先には知らない人も表示されるし、
仲の良い人も表示される。どうでもいい記事から、
知り合いの最近の心境までなんでもみれる。
「他人の今を知って何を感じているんだろう・・」
少なくとも自分が困っている時ならば、とても
自分がマイナスにうつるだろうし、
自分が楽しくて仕方ない時ならば、人の配信よりも
自分の表現に集中しているのが素直な気持ちだ。
僕は深夜に寝ながらスマホを持った。
どこか寝れないし、することも寝ることだけだし、
灯欲しさにスマホを開く。
外国人女性の陶芸家と猫の動画が流れた。
目が覚めた。
猫が陶芸をすることではなく、この自然体の描写と
流れる音楽(写真はOFFだけど)このアーティストのセンスに
感銘をした。
SNSなんていくつも流れるコマーシャルみたいなものだったり、
会ったこともない人への挨拶だったり、架空の人間関係だったりもする。
けれども欲しかった商品を超えて、時には表現力や、行きたかった風景など、
凄まじい画力に推されることもあったりする。
この陶芸家と猫の動画には「こんなのがあったのか!」と心が揺らいだ。
僕には出来ないし、このアーティストは目標を達成していると感じた。
素直に凄かった。
そして僕は寝る間も惜しんで、失礼を承知のままに
会ったこのないSNSでの知り合いのアーティストに、この投稿をご覧に
なって欲しいとまでメールをした。
知らないアーティストの投稿を知らないアーティストに伝える・・・
詐欺ではないからにしても、これがSNSの危険な部分なのかもしれない。
けれども、僕の本心で美しい作品であり、閲覧を懇願させて頂いたアーティストさんも
負けないほどに美しいものを表現せれているプロなのは間違いない。
数時間して、閲覧を懇願したアーティストさんからお礼のメールを頂いた。
一歩間違ったらブロックされるかもしれない失礼な行動に対して
とても丁寧なお言葉を頂いた。
人って、付き合いや、都合だけでは理解できないと、僕は思った。
共感を正しいというのではなく「この人理解している」という部分の感じ方。
人には感じるアンテナがある。
そのアンテナの周波数が同じな人は必ずいて、
同じ周波数の人であれば、より良いものが発見される。
時にはそういったアンテナを悪用する詐欺があるから(頂き女◯のように)
信用しないことも大切ことであるのも事実だ。
でも表現者って凄い!かっこいいよね。
僕は素敵な海外と日本のアーティストの出会いに陶酔していた。
陶酔しながら、続くSNSの投稿に先輩の14周年の記事を拝見した。
その先輩は人格も素晴らしく、みんなに愛され、
僕を育ててくれた先輩の投稿だった。
「心からお祝いを申し上げます」
SNSは今の自分に必要な情報を与えると同時に、
今はすぐに会えない人の功績も伝えてくれる。
人付き合いの少ない僕にはSNSの存在が補強をしている部分もある。
先輩の投稿に先輩や後輩もサインをしていた。
「相変わらずみんなに愛されているなぁ」と羨ましく
先輩の共通の知り合いのアイコンを僕はタッチした。
・・・・・・・・・・
共通の知り合いから僕は削除されていた・・
これもSNSの現実。(しれーと外されるの)
直接言われた訳でもないし、これは本人の自由。
削除、ブロックも自由。でも寂しく感じる。
僕は賛否両論を受ける立場だから、表にいるけれど、
この感情を学生や子供に与えることはとても大きな問題だ。
区別はとても大切な判断だけれども、判断が曖昧な時期には
とても注意が必要になる。
寂しく感じる人もいるし、時には怒る人もいる。
でも賛否両論があるから成長できる。
そう実感するほどに、陶芸家と猫、お伝えしたアーティストの
人柄により感銘した僕がいる。
ブログをご覧頂きありがとうございます。
日々向上される皆様を心から応援しております。
心の解説者®︎・エッセイスト 平山 こうすけ
心の解説者®︎・エッセイ・随筆・ポジティブ心理・サイコパス・ユーモア哲学・売り出し方・コーチング・平山 こうすけ コウスケさん