秋の夜と僕
「売り出し方をつくる」
もはや日記ではないレベルの「こうすけ日記」
心理ブログよりもファンが多いとか・・
心の解説者の平山こうすけです。
ニッチなエッセイで人気の”僕のシリーズ”、
今回は「秋の夜と僕」についてお話をします。
11月になり冬至も来週に迫る中、日中から蚊に追われる僕。
ミストタイプの虫除けスプレーを追加で購入することにした。
早朝のウォーキングにはスエット姿、日中は半袖姿、
そして外には出れない姿で原稿を書く今、後ろには扇風機が回っている。
季節外れなことは今更だけれども、
5時半には暗くなり、ドラクエのゲーム内も夜になる。
秋の夜長だけは季節通りだ。
夜は長いけれども、僕は寝るのも早い。
つまり暗い時間が来たということは、
原稿を書く終了時刻が迫っているのだと錯覚してしまう。
ただでさえ、ブログを書いたり、文学賞の原稿を書いていると
時計が30分ごとに進んで見えるのに。
そうやって集中力が欠けてきた時に僕はテレビをつける。
上位的にダメなルーティーンに入る・・
画面の中では、秋の夜長をドイツフェスで楽しんでいるじゃないか!
「理想だよね、会社帰りに3連休前のドイツビール」
「鍋と缶ビールは庶民的だけど、ソーセージとクラフトビール
を出されてしまったら、ここはミュンヘン!オクトーバーフェスト!」
「フェスト!」
狙ったカメラワークは、丁髷のイケメン外国人をバックに、
でっかいソーセージとビールで秋を満喫している・・
「どこの外人だろ?イングランド系かな・・ベッカムに似ているし・・」
今の時代にイケメン外国人を全てベッカムにする主観の
持ち主はシーラカンスくらいの層にしかいない(笑
シーラカンスもまた古い(生きた化石と呼ばれた魚)
僕の頭の中も化石だ。
ベッカムならまだしも、僕はスーツ姿の映画を観ると
誰がジャックで、誰がジェームズだかわからなくなる・・
挙げ句の果てには頭髪のない人や、帽子の人など
識別方法が、もはや安直でしかない領域に達していく。
映画のラストまで主人公の名前さえわからないことも
多くある。だから、たまに同じ作品を初見と勘違いして、
映画の結末で過去に見た作品と気づくことがよくある始末だ。
これって外国人に限らず、日本の任侠映画でも
同じだったりする。
なんとなくグループ別というのか、集団的団結を強める
意識なのか、人の色合いを合わせることは、まとまりがあるので
仕方のないことなのかもしれない。
祭りでみんなが違う格好をしていたらハロウィンみたいに
なってしまうし、神輿をスーツやレオタードで担がれた時には
なんかカオスに見えてくる。
でも、映画も祭りも見ている僕らは、おそらく普通か、
普通の上か?普通より下?の社会層が多いから、
映画のマフィアはこういう格好をするんだとか、
ドラマのお金持ちはこんな生活をしているんだとか、
勝手な制作側の先入観を受け入れる状況におかれている。
もしかしたら、本来は違うものなのに・・(怖
そう思うと「本場は違うんだぜ!」というセリフが
あるけれども、むしろ違ってくれないと偽りと判断できないから
困るものだ。
僕もこんな素敵なオータムナイトを
ソーセージとビールと映画で過ごしたい夢が
うまれました。
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心の解説者®︎・エッセイスト 平山 こうすけ
心の解説者®︎・エッセイ・随筆・ポジティブ心理・サイコパス・ユーモア哲学・売り出し方・コーチング・平山 こうすけ コウスケさん