話の合わない人たちへ
「売り出し方をつくる」
心の解説者®︎ 平山です。
”いいかげん”と”適当”
人は誰でも自分の価値観や主観を持って生活をする。
自分の持つ主観が”おそらく”正しいと思いながら
社会を切磋琢磨に生きている。
しかし、ある集団の中で必ずあなたと話の合わない人に
遭遇することも、何かの縁なのか?
出会ってしまうものだ。
それは、コンビニであったり、食事であったり
職場であったり、部活であったり、
はじめは、お互いに良い距離感を慎重に保つのだが
話しているうちに噛み合わないことに気づく。
そして頭にきたとき自分の弱さに痛感する(反省
僕はこの種の噛み合わない人とよく話す(笑
僕が自ら話すのではなくなぜか好まれる傾向があるんだ。
心理の専門であるので、許容範囲はそれなりに持ち合わせて
いるものの、内心には「あー話が理解できない」と
常に頭のネジがずれてくる(笑
お金に困る男性との話だ。
お金に困るその男性は
「お金を返さないといけないのにお金がない」という。
僕は「お金がないのなら働いて返さないと」と伝える。
お金に困る男性は
「はい。返さないといけないのはわかってる、けど返せない」
という。
・・・話を聞いていない。
僕は「働いて返そう!」ともう一度伝える。
お金のない男性は
「働きます。けど、働いても返せないんです」という
続けて僕は「何して働いているの?」と尋ねた。
男性は「まだ働いてません」という。
キターーーーーーーーーーー!
言い訳の続くInfinity(泣
言い訳がいけないこともない。
自分を保つためにする言い訳は僕も沢山している。
けれども”後悔という飴は、舐めれば舐めるほど
大きくなって口から出ない”
本人が、わかってはいるのだけれども、自覚のない状態
ほど他人を攻撃的に挑発するということを
この種の人はあまり理解していないんだ。
日本語には”いい加減”や”適当”といった
本来は”とてもちょうど良い”といった意味の言葉がある。
けれども、今の社会で”いいかげん”や”テキトー”というと
”なげやりなさま”として捉えることも多くなった。
似た言葉では”最適”や”適切”なんて耳にすると
とても高感度の高い表現に感じてしまうものだ。
しかし話の理解できない種の人に遭遇すると
どうしても”いいかげん”や”テキトー”な人と
僕も思ってしまう。
”やりたいけれどもできない”ことは誰にでもある。
そのできないことに対して”自覚”する辛さも、
誰しもが噛み締しめるものだったりもする。
でも話の理解できない種の人たちは
”自覚”という現実から逃げる”言い訳”の道を
好んで選んで、達成できないことを
あなたのせいにする。
願いが叶うのならば、
いっときの辛さも我慢できると思うんです。
願いが叶わないのならば、辛ささへ受け止めたくない。
それが素直です。
”良い加減”や”適当”の本来の意味は
”ほどよく当てはまること”の意味です。
ほどよく以上に求めることを”欲”といって
欲深い自分を自覚しないだけなのかもしれない。
仏教の教えで例えれば108の煩悩があります。
108の欲がある。
叶わぬものを追いかければ”執着”になる
執着するにも浪費がかかる。
執着がバカバカしいと気づく人もいるし
執着が目的になる人もいる。
こだわると、キリのない世界ですが、
あなたをより感動へ進める時間が他にもあることを
見逃してはいけない。
「この塩加減でお肉おいしいかな?」
と執着しているのは楽しいですが、
きっと来年にはお肉より野菜を好きな自分がいる。
人の気分や煩悩はたくさんある。
たくさんある主観の中であなたの今の正しいと
これからの正しいが異なったとしても
それは適当なバランスではないでしょうか?
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心の解説者®︎・構成ライター 平山 紘介
心の解説者®︎・構成ライター・講師・売り出し方・コーチング・心理・平山 紘介 コウスケさん